やっとやっと、自分の幼児性や依存性に気がついた私(遅い!)
少し大人の客観性が身についてきたのかも(ムフ)。
そして、以前のタイトル「結婚してもずっとラブラブでいたい」が、
幼児性丸出しのタイトルであったことに気がつきました((((((ノ゚⊿゚)ノ
あああああああああ、恥ずかしいです。
「ラブラブ」というのが、恋愛状態とほぼ同意語に近く感じるので、
もっと、今の私にしっくりする言葉に変更させていただきます。
恋は性欲、愛は知性。
これ、どなたが言いだしたのか出典を探しましたが、わかりませんでした。
私はずっとわからなかったのです。
「愛は努力して育むものだ」ということは、心理学を学び始めてなんとなくわかっていました。
じゃあ、誰とでも愛を育める?
理屈では育めるはず。
でも、寛容な(?)私にも「こいつとは絶対セックスしたくない」と思える人はいる。(すみません)
じゃあ、なぜ人間はわざわざ恋をするのか??
恋をした人間と結婚しようとするのか?
そこが理屈ではわからなかったのです。
某宗教のように、誰かが決めた人と結婚する方が手っ取り早い、
あるいは、親が決めた人と結婚する「げげげ婚」のほうが手っ取り早い。
それなのに、そちらがちっとも主流にはならないのは、
「恋が結婚前に必要なもの」と、現代の多くの人がとらえているからと思ったのです。
で、精神科医で「森田療法
」を確立した森田正馬
先生が「恋愛の心理」
で
恋愛をこう定義していらっしゃいました。
(この場合の恋愛は私にとって「恋」です)
「恋愛とは、生殖衝動の発露として異性を求め、
これを獲得、保有しようとする要求に伴う感情である」
つまり、「恋は性欲」だとおっしゃってます。
性欲と言うのは、もう本能そのものです。
しかも「異性を保有」が「結婚」と考えると、
まさに、結婚は、本能が引き起こすものなんですね。
しかし、「性欲」は「保有」までに大きなエネルギーを使いますが、
保有してしまったら、あとは、もう性欲だけに任せるわけにはいかないのです。
そこで登場してくるのが「愛」
継続は「愛を育む努力」がやはり必要になるんですね。
恋の衝撃と心地よさが残っている新婚時代に、
少しずつ愛をはぐくむ努力を練習していると、スムースに移行できるかもしれません。
感情は移ろいやすいものだけど、意志は人間の理性でコントロールできるもの。
みんな、安定したくて、結婚したはず。
そうであれば、やはり、移ろいやすい感情ではなく、意志の力でコントロールしていくしかないのですね。
感情を抑え込むのではなく、上手に付き合いながら、相手に伝えていくことが大切。
感情と理性のバランスで、結婚生活を愛にあふれるものにしていけばいいのかなと思ってます。