「どうしてラブラブを求めることが幼児性なの?」という質問をいただきました。
私の言う「ラブラブ」は、お目目がハートで、いちゃいちゃするのが楽しくて「いつも一緒にいたい」「いないと寂しい」「この人が絶対必要」という感じの、恋愛初期のラブラブをさしてます。
このラブラブは、これは、心理学でいうところの「依存」で、すべての人間関係の始まりともいえるそうです。
赤ちゃんの時、お母さんに「ラブラブ」で、お母さんといつも一緒にいて、世話をしてもらって、可愛がってもらうことで、赤ちゃんは生きていけるんですね。
で、徐々に大人になって、お母さんから独立しても、「お母さんに甘え足りなかった」という不満があると(多くの人が親の愛が足りなかったと思っているみたいです)また、母子のような関係を、今度は異性で得ようとするみたいなんです。
「もう、あなた以外誰も目に入らない!」というような「大恋愛」を、しちゃうんですね。(私のことですが…)
お母さんの代わりを異性に求めているのは、幼児性なんですね。
「お世話してほしい、かまってほしい、愛してほしい」というような、「自分に何をしてもらえるか」ということだけにフォーカスしているから、「ずっとラブラブがいい!」と思っていたみたいなんです。
もちろん、恋愛当初や新婚時代は、そういう関係を楽しめばいいんだと思います。
いわゆる性欲の発露を楽しめばいいんです。
せっかく神様がそういう幸せな興奮状態を味わえるよう、プレゼントしてくれたわけですから。
でも「結婚してもずっとラブラブ」は、やはり、幼児性だと思います。
性欲はいずれ必ずなくなります。
赤ちゃんがいつまでも赤ちゃんではないように…。
性欲だけの恋の時代から、少しずつ知識や努力が必要な愛に、変化させていかなければいけないと思ってます。
でも、愛って本当に努力が必要みたいなの。
性欲は「そういう努力を一生してもいい相手」をかぎわけるための、神様からの能力なんだと思ってます。
だから、その覚悟をするために性欲がある。最初は性欲がないと、愛の覚悟に着火できないと感じています。(私の場合ですが…)
じゃあ、愛って何だろうと言うことになるのだと思います。
私はまだ、愛の定義が言えません。
今のところ、「どんな状態の時もどんな感情の時も、ただ相手の存在と自分の存在に感謝し、お互いの成長を喜びあうこと」かなあと思ってます。
だから、自分といると相手が成長できないと感じたら、相手の成長のために、(いったんは)別れると言うのが愛だと思ってます。
決して、相手を甘やかしたり、ちやほやしたり、励ましたり、ましてや、支配しようとしたり自分の思い通りにしようとするのが愛じゃないと思ってます。