人間は、「これじゃ満足できない」「足りていない」と思うと、足りないものを埋めるべく、代替物を求める生き物だそうです。
たとえば、依存症って、みんなそうなんだって。
アルコール依存や薬物依存、仕事中毒になる人は、突き詰めると、「幸せが足りない」と思っていたり、「愛が足りない」と思っているらしい。
その欠乏感を埋めるために、お酒や薬物で高揚感を味わったり、仕事で成果をあげ、評価をもらうことで「自分は役に立っている(必要とされている)」と思うのですって。
それは、なんとなくわかる。
では、浮気する男性、妻や彼女に「愛されている」とわかっているのに、外の女性についついちょっかいを出してしまう男性は、何を求めているのかというと…「妻にはないもの」「妻からは得られないもの」らしいです、ああ。
だから、てきぱきしているしっかりものの女性の夫は、ちょっとボケッとしているのんびりした女性を恋人にしたりするらしい…ううむ。
だから、いつまでも愛されるためには、女の人はいろんな顔を持てばいいのかなと私は思っています。
カラオケではしゃいだりすることもあれば、高級レストランでエレガンスにふるまったり、ピシッとしたスーツを颯爽と着こなしていると思えば、セクシーなランジェリーも似合う…という感じでしょうか。
ほら「昼は淑女、夜は娼婦」が男の理想って言うでしょ?
そういう落差を演出できるといいなあと思う。
しかし、これを「テクニック」でやるのではなく、楽しんでするのがポイント。
その人生を楽しんでいる気持ちが、潜在意識レベルで相手にも伝わって、「この女といるとやっぱり楽しいな」と長年にわたり、思ってもらえるように思います。
それから、「ツンデレ」も有効ですよね。
日常会話では、ちょっとつれなくして、そのあとのセックスではすべてを受け入れることで、男の「征服感」を満たすことが可能です。
女性も「征服され感」を楽しむことができますしね。
ほら、喧嘩した後の仲直りセックスって、満足度が高くなりませんか?
やはり、あの落差がいいんですよね(でも、頻繁な喧嘩や深刻な喧嘩は、少しずつしこりを残すので、あまりお勧めできません…)
とにかく、感情をコントロールして、自分の態度を選べると、いいかなと思います。
いつもおとなしい自分、いつもしっかり者の自分、というような金太郎飴ではなくて、女優みたいに自分を変化させて楽しむ。
相手を振り回したり、だましているわけではありません。
相手の「もっとこの女を知りたい」という狩猟本能を満たしてあげる、
すなわち、相手の欲しいものを与えてあげるのが、「愛」ではないでしょうか?
自分の与えたいものを与えるのは、ただのおせっかいですよね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。