●実は、お誕生日です(照)
3カ月後のあなたを愛され妻にするカウンセラー 八馬ゆみです。
実は、今日は、お誕生日なんです。
「え? ゆっちさんは、8月生まれでしょ?」
はい、そうなんです。
今日、お誕生日を迎えたのは「愛されスイッチON!メール」です^^
1号配信時の読者様は、95名様。
今は、1636人!!!!!!!!((((((ノ゚⊿゚)ノ
本当にありがとうございます。(*^o^)乂(^-^*)
第1号を読み返しました。
95名様にだけ読んでいただいた1年前の私、ここにアップさせていただきますね。
●「べき」思考は、恐怖の世界
メルマガでは、はじめまして…ですね、ゆっちこと八馬ゆみです^。^
とにかく、創刊号の配信が遅くなってごめんなさい。
「メルマガを書くぞ^^」と決めて、1ヶ月もたってしまいました。
ブログはじゃんじゃん更新しているのに、なぜでしょう?
白状します。
「メルマガはブログより面白い内容であるべき!」という、「べき思考」にどっぷりつかっていました。
ああ、なんてしつこい、べき思考。
こうなると、もうだめ。
何を書いたらいいやら、パソコンの前で何回もどんよりしておりました^^
ブログで皆さんに「べき思考を手放しましょう、ほほほ」と言ったりしておりますけど、私だってこのようになかなか手放せないことを白状いたしましょう、ほっほっほっ。
罪悪感も、自己無価値感も、しかりです。
もう、これは、一生付き合っていくものなんですね。
だから、「べき思考」がやってきたら「あら、また来たのね? いらっしゃい」と歓迎することにしました。
丁寧に入れたコーヒーなんぞを出しておもてなしします。
名前もつけました。
ベッキーです。
私「ねえ、ベッキー、本当にメルマガはブログより面白くないとダメなのかな?」
ベッキー「だって、ブログと同じじゃ意味ないでしょ?」
私「同じものは書かないけど、でも、面白いか面白くないかは、読者が決めることでしょ。私にはコントロール不能だよ」
ベッキー「それもそうだけど…」
私「つまんないと思う人は読者登録を止めるし、面白いと思ってもらえれば読み続けてもらえるだろうし、それは私の決めることじゃないよね。私はそれを受け入れればいいんだから」
ベッキー「それもそうだね」
という感じで、お話していたら、ベッキーはすーっと消えていきました。
そう、私は私のありのままで、みなさんに書きたいメッセージをかけばいいんですよね。
「べき思考」って、「他者の評価」とすごく密接に絡んでいるように思います。
「他者の評価を得るために○○すべき」ってこと、すごく多いと思いませんか?
たとえば、「お客様が来るからクッキーを焼くべき」というときは、「お客様から評価を得るために焼く」のであります。
これは「評価を得ねばならない」という恐怖から始まっています。
同じようにクッキーを焼いたとしても、「お客様がいらっしゃるから、おもてなしにクッキーを焼こう(楽しみ)」は、お客様を喜ばせたい愛の気持ち。
同じクッキーを焼くにしても、その動機が、愛なのか恐怖なのかでは全然違いますね。
夫婦修復も同じだなと思っています。
「修復のために○○すべき」と思ったとたん、それは愛の世界ではなく、恐怖の世界。
すべき=我慢=他者(夫)の評価が欲しい
なんですね。
でも、恐怖の心で何をしても、恐怖の世界からは抜け出せません。
愛の世界にいない限り、愛は受け取れないと思います。
愛の世界は、○○することが嬉しい、○○に感謝の世界。
受け取ることも与えることもすべて喜び。
だから、自分の「べき思考」に気がついたら、なぜべきになっているのか、ちょっとベッキーにコーヒーでもご馳走しながら、考えてみてください。
そして、それを自分の喜びに変換して行動できるかどうか、考えてみてください。
私は、メルマガを書くという行為が「恐怖」でしたが、今、こうやって「愛」と「喜び」に変換して、書き上げることができましたよ^^
1年前の私、こんな感じ。メルマガでは、はじめまして…ですね、ゆっちこと八馬ゆみです^。^
とにかく、創刊号の配信が遅くなってごめんなさい。
「メルマガを書くぞ^^」と決めて、1ヶ月もたってしまいました。
ブログはじゃんじゃん更新しているのに、なぜでしょう?
白状します。
「メルマガはブログより面白い内容であるべき!」という、「べき思考」にどっぷりつかっていました。
ああ、なんてしつこい、べき思考。
こうなると、もうだめ。
何を書いたらいいやら、パソコンの前で何回もどんよりしておりました^^
ブログで皆さんに「べき思考を手放しましょう、ほほほ」と言ったりしておりますけど、私だってこのようになかなか手放せないことを白状いたしましょう、ほっほっほっ。
罪悪感も、自己無価値感も、しかりです。
もう、これは、一生付き合っていくものなんですね。
だから、「べき思考」がやってきたら「あら、また来たのね? いらっしゃい」と歓迎することにしました。
丁寧に入れたコーヒーなんぞを出しておもてなしします。
名前もつけました。
ベッキーです。
私「ねえ、ベッキー、本当にメルマガはブログより面白くないとダメなのかな?」
ベッキー「だって、ブログと同じじゃ意味ないでしょ?」
私「同じものは書かないけど、でも、面白いか面白くないかは、読者が決めることでしょ。私にはコントロール不能だよ」
ベッキー「それもそうだけど…」
私「つまんないと思う人は読者登録を止めるし、面白いと思ってもらえれば読み続けてもらえるだろうし、それは私の決めることじゃないよね。私はそれを受け入れればいいんだから」
ベッキー「それもそうだね」
という感じで、お話していたら、ベッキーはすーっと消えていきました。
そう、私は私のありのままで、みなさんに書きたいメッセージをかけばいいんですよね。
「べき思考」って、「他者の評価」とすごく密接に絡んでいるように思います。
「他者の評価を得るために○○すべき」ってこと、すごく多いと思いませんか?
たとえば、「お客様が来るからクッキーを焼くべき」というときは、「お客様から評価を得るために焼く」のであります。
これは「評価を得ねばならない」という恐怖から始まっています。
同じようにクッキーを焼いたとしても、「お客様がいらっしゃるから、おもてなしにクッキーを焼こう(楽しみ)」は、お客様を喜ばせたい愛の気持ち。
同じクッキーを焼くにしても、その動機が、愛なのか恐怖なのかでは全然違いますね。
夫婦修復も同じだなと思っています。
「修復のために○○すべき」と思ったとたん、それは愛の世界ではなく、恐怖の世界。
すべき=我慢=他者(夫)の評価が欲しい
なんですね。
でも、恐怖の心で何をしても、恐怖の世界からは抜け出せません。
愛の世界にいない限り、愛は受け取れないと思います。
愛の世界は、○○することが嬉しい、○○に感謝の世界。
受け取ることも与えることもすべて喜び。
だから、自分の「べき思考」に気がついたら、なぜべきになっているのか、ちょっとベッキーにコーヒーでもご馳走しながら、考えてみてください。
そして、それを自分の喜びに変換して行動できるかどうか、考えてみてください。
私は、メルマガを書くという行為が「恐怖」でしたが、今、こうやって「愛」と「喜び」に変換して、書き上げることができましたよ^^
正直、今と同じこと、言ってますね^^;
「ぶれてない」とも言えますし、「進歩がない」とも言えますね!
ま、どっちでもいいですね~。
皆様にご支持いただけているのであれば^^
愛しいあなたを心より応援しています。
3カ月後のあなたを愛され妻にするカウンセラー 八馬ゆみ