3カ月後のあなたを愛され妻にするカウンセラー 八馬ゆみです。
昨日の記事 の続きです。
まだ、5歳の私。
母に置いていかれ、家で一人布団をかぶって泣いておりました。
まるで、幼児虐待???
いえいえ、そうではありませぬ。
後から聞いた話ですが、母はもちろん一人で置いていくことはできないと思い、私を近所に急遽預けようとしました。
しかし私は「いやっ、絶対にいかない。おうちにいる」と駄々をこねました。
だって、私の目的は、母に妹より私を優先させることだったのですから。
とにかく母を困らせて「じゃあ、今日は名古屋に行くのはやめるわ」といわせることが目的だったのです。
近所の家に預けられてしまっては、目的が達成できません。
だから、その日は徹底的に駄々をこねました。
母の気持ちになれば、こういうことだと思います。
「一人で廊下に待っているのが、そんなにつらかったのね。
ほかの人の家で気を使うのもいやなのね。
家にいたいんだわ。
こんなに家に居たがるんだから、家においていこう」
そして、ご近所に、「上の子を一人で置いていくので、時々様子を見てもらえないか」と頼んで、名古屋に向かったのでした。
しかし、私はそんな配慮を母がしたということは知りません。
ただただ、「置いていかれた」「私より妹がやっぱり大事なんだ!」という「認識」だけが残ることになりました。
5歳でこういう思い込みができてしまうと、その後どうなるか…というと、親の愛を得るために、「妹にはできない何か」をして、親の関心を引こうとするんですね。
駄々をこねても置いていかれるーーすなわち親を困らせても親の愛は得られないということは学んだので、ぐれたり、ダダをこねたりはできません。
つまり、逆に「手のかからない優等生になる」という道を選択するわけです。
おかげさまで、小学校4年生から高校3年まで学級委員をしとおしてしまいました(汗)。
でも、生徒会に立候補するまでではなかったのは、本当は「優等生」なんてしたくなかったのでしょうね。
そして、親の愛を奪った妹を恨んで、いじめたり、憎んだりすることもできませんでした。
なぜなら、妹は障害者なのです。
障害を持って生まれた「かわいそうな(当時はそう思ってました)守るべき妹」をうらむことができましょうか?
私は、妹を表面的にはとてもかわいがりました。
それが「母の喜ぶ優等生のすべきことだ」と考えたから。
続く。