●親とのこと その1
私はもう45歳です。
でも、5歳のころの思い出で泣けるんです!!!
40年も前のことでポロポロ泣けるんですよ~。
なぜ、こんなことを書くかというと、たぶん、あなたがもし今、旦那様との関係に悩んでいるなら、あなたにも同じように、まだ涙があふれてくる子供時代の思い出があるのではないかと思うからです。
なぜ、子供のころの思い出と今の人間関係が関係あるか…については物語の最後に書きます。
私の2つ下の妹は生まれつき聴覚障害がありました。
妹が1歳のとき、母は妹の耳が、聞こえが少し悪いことに気がつきました。
名前を読んで振り返るときと、振り返らないときがあったからです。
周りに相談しても「気のせいじゃない?」「心配性ね」といわれていたそうです。
それがある日、確信に変わりました。
家の上空を低くヘリコプターが飛んだとき、私(三歳)がはしゃいで縁側に飛び出していったのに、妹はまったく興味を示さなかったことがきっかけだったそうです。
本格的に検査を受けた結果、聴覚は成長するにつれ、どんどん聞こえなくなり、やがて補聴器をつけても何も聞こえなくなるだろうという診断が下されました。
両親は「聴覚を完全に失う前に、発音を習得させよう」と、妹が3歳のときから名古屋大学の研究室に通うことにしました。
そこでは、日本で二箇所しかない聴覚障害児の発声教育についての研究をしているところでした(当時)。
それまで石川県に住んでいたのですが、名古屋大学に通うために愛知県に引越しまでしています。
耳が聞こえなくなってしまうと、音が聞こえなくなるので、正しい発音を聞くことができなくなります。
聞こえないものを発声するのは難しいですよね?
だから、少しでも聞こえる小さいころに特訓を受ける必要があったのですね。
(おかげで妹は、発音が今もきれいです。本人は何も聞こえていないにも関わらず…)
さて、その名古屋大学通いが、私は大嫌いでした。
場合によっては、大学の廊下で一人でじーっと待っていなくてはいけないからです。
そして、ある日、ダダをこねました。
「行かない。行かない、絶対に行かない」と。
私は母の愛と行動がすべて妹に注がれ、私は妹ほど関心を持ってもらえてないと思っていました。
私は母に、ときには妹の用事より私を優先して欲しかったのだろうと思います。
だけど、母にしてみれば、大学教授とのアポをすっぽかすわけには行きません。
どうなったのか…5歳の私は、一人、家に置いていかれたのです。
私は、母と妹が戻ってくる4時間ほどの間、布団をかぶってわんわん泣いていたことを覚えています。
もちろん、最後は泣きつかれて眠ってしまたでしょうけれど…覚えていません。
その孤独が、私の「寂しさ」の原点ではないかと思うほどです。
続きます。